自分さん

たしか、英会話の勉強方法を調べていたときに読んだ本の中に、こんなことが書いてあった。

 

     村上春樹は、「うなぎ」というアルターエゴを持っている。

 

アルターエゴ:

オルター・エゴ、またはアルター・エゴAlter Ego)とは別人格の事。哲学においては他我他者の持つ自我)の意味で使われる。              ウィキペディアより

 

 

「他者の持つ自我」   ちょっと難しい。正確に理解しているか自信がない。

 

 が、それを私も持ちたい、設定したい、と思った。

 

 そして、私にとっての「それ」の存在を確かなものにする方法として、私も「それ」に名前をつけようと思った。

 

 しかし、いい名前が思いつかない。

 「うなぎ」さん、って村上春樹はうまいなあ。とつくづく感心した。

 

 「なまず」さんにするか?・・・あんまり頼りにならない。。。

 

そんな感じでうまくネーミングできず、アルターエゴの設定はできなかった。

 

そして、この欲求自体を忘れていた。

 

しかし、先日のフルムーンヨガのお陰で、あれから自分の中で「自分さん」が立ち上がってきた。

 

 いい名前が思いつかず、ずっと忘れていたアルターエゴのこと。

 

体の内側から「自分さん」が自ら沸きあがってきた。

 

過去にネーミングができず、その誕生を引き伸ばされていたアルターエゴが、業を煮やして自分から出てきた。しかも、ネーミングされず「自分さん」だって。笑える。

 

「自分さん」 今は、呼ぶことだけが先行して、見えなくなっているけど、また、何かして自分の感度が上がった時は、出てきて欲しいな。

 

自分さんときちんと話しができるように、助け合い、感度を上げて生きたい。行かねば!

インド哲学in長岡

先週の終末は、インド哲学、ヨガ哲学の話を聞くという口実で、長岡にぶらり一人旅をしてきました。

 

先生は、いつものUさんです。

 

印象に残った、書いておきたいこと。

 

Uさんは、死ぬ一瞬に「ほっこり」したいからヨガをやっている、ということ。

 

そして、指パッチンして、一瞬について、こだわり伝えようとしてくれたました。

 

長岡ではピンとこなかったのですが、なぜか、昨日、満月ヨガ効果で、指パッチンの重要性がわかった気がします。

 

一瞬:一秒の何分の一?

 

一秒は、世間の概念より、「長い」と私は思っています。

一秒は、結構長い。

人間の脳みそは、一秒の間に結構いろいろ動ける。

 

「死ぬ」とわかれば、そりゃ、いろいろ考えるでしょう。

感謝の気持ちとか、「思う」でしょう。

 

しかし、本当に人生のシャッターが、地面に付く最後の最後、何が起こるか、それはもう自分ではどうしようもない、それまでの人生の総仕上げが、その一瞬、脳も体もどうにもできない、「理性」は何もできない、「死と生のキワ」。

 

死と生のキワ : は、その人の脳みその裏がわ のような気がします。

 

裏表がある人 というけど、それは対社会とかだけではなく、対自分にも、裏表を作っている。

自分自身の裏の裏まで、よく見渡せるようでなければ、自分のシャッターが完全に降りる瞬間まで、責任もてない。

 

シャッターの降りきる時、瞬間のために、ヨガをする。

 

シャッター:ガラガラでもあるし、写真も毎回カメラのシャッターをおろしている。

 偶然かな。

 

写真を撮るのは、そういう練習でもある。

ヨガとは違った方法で、擬似の瞬間を体感しているのかも。

 

 

ログふたたび

長~い休憩のような空の後、また再び生活を残そうと思います。

なんの工夫や覚悟もなく、とりあえず始めます。

 

一昨日、月曜日は「満月」で、「フルムーンヨガ」してきました。

初めての経験、夜にヨガをする、満月の時にヨガをする、初めてのスタジオで、畑友達と一緒にヨガをしたこと。

そして、ぼんやり記憶をたどった、昨日の午前中(午後は労働モードに戻った)。

ヨガをしているときより、昨日の午前中の記憶を辿ったときの方が濃かったなあ。

 

●第二チャクラ このチャクラは、パワーとか、創造のもとである。

有名な第二チャクラ:丹田 スヴァーディシュターナチャクラ

探し方も教わった。

 

●足首を蹴りだしたフレックスでの伸びは、身体の背面を伸ばす。

●足の甲を伸ばしたポイントの伸びは、身体の前面を伸ばす。

 いつもやっているポーズで、気持ちいいのはわかっていたけど、言葉で具体的に説明してくれると、脳が喜ぶ。まさに、昨日、私の脳さんが喜んだ。

 

クンバカ呼吸

 昨日のスタジオには、たくさんの柔道?空手?合気道?の賞状が飾ってあり、どうやらインストラクターさんのお父様は、武道の人のようでした。

 そんなイントロが私の中にあっての、クンバカ実習だったので、説得力があって、クンバカに熱が入りました。

 これからも、ちょくちょくやってみようと思います。

 

なんか、他にもたくさんポイントをもらったような気がするけど、もう忘れちゃったよ。

 

インストラクターさんの声が綺麗で、気持ちよかった。

 

鷺のポーズ系をじっくりやったな。

あと、ポールやブロックを使って足の指を伸ばすこと。

太陽礼拝のやさしいバージョン

 

アロマをティッシュに垂らして使う呼吸法

 

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昨日のヨガは、畑の友人Mさんに誘われたのでした。

そのMさんが、昼間に自由が丘に行っていたとのことで、なぜかお土産として「はらドーナッツ」のプレーンドーナツをくれました。

 

満月ヨガの帰り、満月をくりぬいたようなドーナツをおみやげに、もちろん満月の下、愛する夫のいるアパートへ帰る私が、とっても幸せに思えた夜でした。

 

養老静江 「ひとりでは生きられない」 女の技、伝統の技

「ひとりでは生きられない 紫のつゆくさ ある女医の95年」 養老静江

  

 

ひとりでは生きられない―紫のつゆ草 ある女医の95年

ひとりでは生きられない―紫のつゆ草 ある女医の95年

 

 

 養老静江さんは、養老孟司さんのお母様です。

 明治32年生まれ 鎌倉で小児科を開業していたお医者様でした。

 


 結構、波瀾万丈です。決して、ただのお嬢様のお話ではないです。

 

 その中でも、私が紹介したいのは、敗戦後、当時、静江さん46歳が、20歳の長男に「民主主義」を持ち出されて、親子の立場が平たくなる場面です。

 

 未知なる制度を家庭に持ち出され、敗戦したが故に、それに抗うことができず、受け入れる部分です。

 

 学校で「教科書を墨で塗りつぶした」とよく言われますが、それの家庭版のような部分かな。

 

 静江さんは、力ずくで家庭の法律が「民主主義」に変更されて行った具合を「身の置きところのない事態」と表現しています。

  

p182 

新しい時代の主役たち

 身の置きどころのない事態を引き起こした原因は、私の子供たちにありました。いや、ちょっと大袈裟に言わせていただくなら、敗戦とともに登場した「民主主義」にあったといえるのかもしれません。

 

 ある日のことです。長男の譲次をはじめ子供たちが「これからは、わが家も民主主義でいきましょう」と宣言しました。「どういうこと?私のことは母親とは思わないということ?」。突然の出来事に戸惑いを隠せなかった私に、子供たちはこう主張しました。

 「これからは、”許可制”ではなく、全て”報告制”にしますからね。お母さん、水に足が半分つかっているのに、いつまでも土手の草につかまっているような状態はみっともないですよ。上がるなら上がる、流されるなら流されるで、覚悟を決めちゃどうです。あくまでもお母さんが戸主権を主張するなら、僕らもそのように対応させていただきますからね」

 

 昔ながらの身分制度、家族制度のなかでくらしてきた私ですから、民主主義の旗の下に暮らしていこうといきなり提案されてもすぐには返事ができません。

 

ーーー私には「民主主義」が恨めしく思われました。



 しかし、数日のうちに私にも決心がつきました。新しい世の中になったのですから、私も生まれ変わったつもりで子供たちと一緒になっていこうという気になったのです。それに考えてみると、少女時代には「空だって風だって、私がいるからこそ存在するんだ」といった思いあがった気持を抱いたこともある私です。新しい社会にこれから生きていこうとする子供たちの若々しい理想をむげにすることはできません。私は、「あなたたちのやり方に従うことにしました。よろしく頼みます」と頭を下げました。



 

 

 こんな風に、素直に頭を下げちゃうのは、女の技としか言いようがないです。

 

 今まで自分が信じてきたものを否定され、よくわからない制度を、自分の子供から提示され、強要される。

 

 私は、生まれた時から民主主義だったので、戦後の切り替わり時期の日本人の心情、とくに女性の心情にとても興味があるのです。

 

 スタートの時期は、その後に大きく影響するからです。

 

 今の日本は、本当に民主主義なのかしら?ってたくさんの人が感じてますよね。

 

 私は、民主主義の条件は、「政権交代」だと思います。

 二大政党にしないと、民主主義にはならないと思うのです。

 

 でも、ずーっと自民党できたということは、日本は、民主主義の皮をかぶっただけの、相変わらずな方達だと思うのです。

 

 養老家のこの会話って、へんてこりんで、おかしいです。

 

 戦争に負けて、アメリカに命令された「民主主義」が、そのまま家庭に降ってきてる。

 あくまでも「お上」から下りてた制度。

 

 フランス革命みたいな、国民主体な成り立ちではない。

 

 だから、こんなへんてこりんな会話になってしまうのかなあ。

 

 でも、とにかく、当時の女性は、こんな風に、その場その場で選択し、踵を返して生き抜いたんだと、しみじみしました。

  

 夏目漱石の小説に出てくる女性も、とても興味深いのですが、この時の静江さんの心情も、忘れたくないです。

 

 その後の静江さんは、子供たちが、自分の庇護を必要としなくなったので、「仕事に専念できてよかった」と書いていらっしゃいます。よかった、よかった。

 

 

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