ファスティング中
今日はファスティングというやつの3日目だ。
準備食が二日あったので、サポートさんとのやりとりをしながらの体調管理は5日目。
ドリンクとサポートがセットになっているファスティングを始めた。
良いシステムで、順調に過ごしている。
○なこと
朝は少しだけど、便通がある。
空腹感がそんなにない。だから辛くない。
サポートが的確。
頭痛などが来そうだったら、塩を舐めるという技を教わり、習得できそう。
塩と糖分と体の関係を教わり、体で経験し納得できる。
家でやるから、日常と向き合いながら断食できて、自分と直で向き合える。
△なこと
相変わらず寝起きがだるい。→目的ながない、または嬉しい目的、希望がないからか?
運動が嫌、食材消費がいや(キッチンに立ちっぱなし)、事務所りが嫌。
好きなこと(カフェで読書、ウィンドウショッピング、写真を撮る、好きな人と会うz)ができない今日だから?
今回の断食(ファスティング)で感じた事。
*「食」という事が、現代はレジャー、経済の主要部分になっている為、世の中全体が「食べろ、食べろ」の大合唱になっている。
しかし、人間の体は、古代からゆっくり変化しかしていないので、まだそんな現代の状況にあうようにできておらず、大量の食物を必要とはしていないし、耐えられない。
頭(脳)だけは、現代の「食べろ、食べろ」コールに順応するが、消化や栄養分解などをする内臓、血管などなどいわゆる体は、到底対応できやしない。
このアンバランスが人間を狂わすのではないかと思った。
古代の生活スタイルを思い、体に合わせた日常を送りたいと思う。
それが与えられた生命を全うする宿命だと思うから。
私の中で、「食」は、見るもの、遠くにあって眺めるものとなった。
世の中に溢れている「食」のお誘い看板、テレビ、ラジオ、ネットからの情報は、自分の口に入れるものの情報ではなく、ただ見るだけの架空の話となった。
なぜなら、自分には必要ないから。
そんな「食」は害でしかなく、食べる量は少なくていいし、粗食が一番体にいい。
*あと、食べ物を買いすぎで賞味期限に追われていた。
いつも「あれも食べなきゃ、これも食べなきゃ。」という毎日だった。
なぜなら、宅配の食材サービスに加入していて、一週間も前に注文しているから、予想で色々注文しないといけなく、ついつい注文しすぎていた。
添加物なしとか、色々とスーパーにはないものを買えるサービスだから、財布のヒモも緩まり、沢山注文してた。
結果、冷蔵庫、冷凍庫、乾物入れ、など置く場所がないくらい食材が溜まり、いつも焦りつつ生活していた気がする。
「食べたい」より先に「もったいないから、食べなきゃ!」だった。
そこは改善していきたい。
買いすぎない。無くなったら注文するようにする。
無かったら、代替を考え、そこに頭を使おう!
落ち着いて、毎日の「食」と向き合いたい。
賞味期限に追われて、まさしく消費する食生活から、じっくりと自分の体に与える食物を調理する感覚を覚えていきたい。
日記再開
このブログ、始めたのが7年前とは!
あっという間。
ただただ自分で忙しいだけ。
アウトプットしたいのに、ずっとできない。
アウトプットして、それが大した事ないと解れば、そこからまた、自分が先に行ける。
だからアウトプットは必要だし、吐き出さなきゃ苦しい。。。。
風邪を引くというベンチマーク
風邪を引いてました。
11/05(木)に引いたみたいで、朝起きたら喉が痛く、バイトに行ったら鼻水が止まらず、コンビニでマスクを買って、気持ち的に「風邪ひいたな・・・・。」と負けを認めるに至りました。
その一週間くらい前から夫が風邪を引いていたので、ウィルスはそれが移ったのだと思います。
しかし、直接の原因は、その夫が、寝室の空気が自分の風邪菌で汚れ、私に風邪が移ってしまうのが申し訳ないと思い、寝ながらも、窓を開けたり閉めたりして寝室の喚起をしていたらしく、その際、窓を閉めたといっても鍵をかけたわけではないので、築40年くらいの古い団地で布団で寝ている中年女が、そんな状況でいつまでも元気なわけがないなと思いました・・・・。
その話を聞いて、最初は夫を恨みました・・・。
しかし、彼も悪気があったわけではなく、反対に思いやりからでた結果であるので、余計ややこしいわけですが、こういう自分ひとりの計画道理には行かないのが、人生、自然相手に生きていくってこういうことだ!と感じている自分を発見したりして、ちょっと嬉しくなりました。
てなわけで、せっかく始めたブログもまた中断してしまいましたが、ようやく体の調子ももとに戻ってきたので、腐らず、再開していきたいです。
10日間くらい病気していたので、その間、写真関係の予定をひとつキャンセル、健康診断をキャンセル、仏教関係の予定をひとつキャンセルし、バイトも二日休みました。
なんだか、いろいろ社会とのつながりが切れていくような気持ちになり、体調の悪さも重なって、夫を恨む方向に行きがちでした・・・。
体調と心はつながっていると、つくづく感じることができました。
文武両道。
自分には基礎第力が必要だ。
そんな中で、ひとつ無理してとってもらった用件がひとつあり、それは夫に車で送ってもらい行ってきました。明日、紹介します。
久々のシバナンダヨガ
ヨガ
昨日の日曜日は、半年以上ぶりで「予約なし、ワンコイン」で参加できる「シバナンダヨガ」に参加してきました。
思えば、私のヨガデビューのクラスがここでした。
それまで、なが~い間、本やDVDを見ながら、ひとりで家で、たまになんとなくヨガの練習をしていました。
フィットネスクラブなどの体験に行ってみたかったですが、初めてでも着ていくウエアなどが分からず、女子っぽい雰囲気のクラスなどは行けませんでした。
そこで、このヨガクラスは、区民センターで、「予約なし、一回500円」と入りやすかったのです。
それから、何回か続けて毎週日曜日にここへ行き、またまた、そのうちブログでみつけた他のヨガクラスに行き、ヨガを本格的にやろうと決心しました。
そして、一念発起して駅ビルのフィットネスクラブの会員になりました。
なので、フィットネスクラブで週2回パワーヨガをやるようになってから、このシバナンダヨガのクラスは行かなくなり、たま~に日曜日に夫との生活時間の条件や気分が良いときだけ行っていました。
半年前の時は、いつもやっているパワーヨガやアシュタンガヨガと、このシバナンダヨガの違いが分かるようになり、戸惑いながらも、なんとかついていけました。
そして、その時のクラスで、初めて「気の玉(ボール)」を作り、手で弾力を感じることができたのです。このような神秘的なことを自分でできるようになったのが、初めてだったので、ちょっと嬉しかったです。
今回は、去年にこのクラスに参加して「できそうでできなかったアーサナ(ポーズ)」ができるようになっていました。
その「できそうでできなかったアーサナ(ポーズ)」とは、四つんばいになった状態から、右手と左足を伸ばしていき、次に左足をまげで、右手で左足の足首を掴み、背中をそらすというポーズです。名前はわかりません。
前にこのポーズをとったときは、右手と左足を上げるところまでは、できたのですが、右手で左足の足首を持というとするとバランスを崩してしまい、完成できなかったのです。
それがくやしくて、付箋に絵を描いて、手帳に貼っていたのでした。
なので、そのポーズができた昨日も、感慨ひとしおでした。
これもりっぱな成長だと思います。
「できなかったことが、できるようになる」って、大人になるとそう頻繁にはない。
そして、この現象には必ず、「できないことをやってみる」という最初の段階が必要になる。
だから、まず最初は、「できないことをやってみる」あるいは、「できそうにないことをやってみる。」という40才過ぎの主婦には、あまり縁のない行為が必要になる。
今の私には、「できそうにない倒立」というテーマがあります。
自主練習も危なさそうでなかなかできない、難関?ポーズです。
しかし、やるしかない。
「できなかったことが、できるようになった。」の間にある、グラデーションが実は楽しい。地味だけど。
まあ、コツコツやるしかないです。